2009年1月27日火曜日

ストライキ

今日になってストライキ(SNCF & RATP)は木曜の一日だけで終わることが分った。
大学の担当ディレクターM氏との数度の面倒なやりとりな末、金曜日の夜に代わりの授業をするとに。
何が悲しくて金曜日の夜五時から八時までを大学でつぶさなければならないのか。
私も嫌だが、学生もまたぶーぶー言うだろう。
それもこれも、交通ストのせい。
毎年のこととはいえ、非常に腹立たしい。
真面目な市民を人質にとって、自分達の給料の交渉をするなんんて。


よく聞かれる質問に、ソルボンヌ大学とパリ大学というのは同じか?というものがある。
はい、同じです。パリ第一と第四(だっけな?)がソルボンヌという名で呼ばれているけど、
結局はパリ大学ファミリーの一部です。

次によく聞かれるのは、私が教えているクラスというのはどのレベルか、というものです。
ずばり、大学院の二年目です。M2という風にいわれます。
フランスは日本の大学院と違って、一年目をM1と呼び、二年目をM2と呼ぶのですが、
M1から2に上がるのは結構むずかしい。だからM2というのは、まあ本物の大学院生といってもいいかも。

最後によく聞かれる質問ナンバースリー。
ソルボンヌ大学ってフランスにおいてどのレベルの学校なのか、ということです。
たぶん日本で考えられているような「最高学府」ではない、というのは確かです。それは誤解です。
もちろん悪い学校ではないですよ!ぜんぜん。
良い部類に入るけど、日本で言う東大、アメリカでいうハーバードだと思うと大きな勘違い。
グランゼコールのほうがよっぽど良い大学だったりします。
ソルボンヌは、そうだな・・・
日本で言う六大学あたりでしょうか?



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2009年1月25日日曜日

ストライキで大学に行けないかも

さて、木曜日はソルボンヌ大学の二週目の授業です。
内容は「リサーチの仮説の設定と指標」について。
さほど難しい内容ではないけれど、一人二人脱落する生徒がでる箇所です。
仮説の部分は英語を理解しないと、エクササイズができない、という問題もあります。

しかし、さきほど学校から連絡があり、今週は大きなストライキが計画されているそうで、
学校にたどりつけないかも・・・ということでした。
二年前も私の担当の授業の期間が大きなストライキと当たってしまい、
最初の授業がまずキャンセル。
そして翌週もキャンセル。
三週目キャンセルになると、試験期間と授業期間がバッティングしてしまうことから
冷や冷やしてまっていたところ、
ようやく前日にストライキが終わり、何とか授業を始めることができました。

大体学校が遠すぎるんだよー。

ソルボンヌといってみんなが思い浮かべるのはパンテオンの素晴らしい金冠をかぶり、堂々とした
石の建物。
一方私が教えるクラスは森の中。
パリから向かうと1時間かかる。
駅からキャンパス向かって歩いている道は、獣道のような感じで、狸でも出そうな感じ。
誰ともすれ違うこともなく寂しい。
建物もなんだか山小屋を彷彿とさせる木のぬくもりのある建物で
大きな窓から見えるのは木立。
夏なら気持良さそうだが、私の授業は毎年冬なので、寒々しいばかりです。

Sorbonne Pantheon という学校に入学して、このキャンパスに送られる生徒たちは
なんだか理不尽なものを感じているようです。私もだ。

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2009年1月23日金曜日

ソルボンヌ大学にて

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今日からまたソルボンヌ(Sorbonne Paris 1 pantheon)大学の非常勤講師の仕事が始まりました。
ソルボンヌで教えるのはこれで三年目。

さすがにもう緊張はしないものの、 逆に緊張しなさすぎて、事前の勉強を怠り、
授業でカバーするべきことを忘れてしまった。
でも、楽しく三時間の授業をしてきました。

今年は留学生も多いです。
コロンビア人、オランダ人、中国人、ベニン、そしてギニア。
後はみんなフランス人。
人数は少なくて、14人くらい。去年は23人ほどいたので、だいぶ少なくて気が楽。
留学生の方が英語が上手いというのが、毎年の通説でしたが 今年は逆で、オランダ人の女の子が上手いだけ。
だから英語とフランス語ミックスした授業になってしまいました。

途中で突如としてトラブル発生。
事前に大学に頼んで、ケーススタディに使う資料を人数分コピーしてもらっていたのですが、
何かの手違いで学生に渡っていず。

さすが、フランス、あんなに念を押しておいたのに、テキトウすぎる。
それがないと授業が進められないので、本当に困ってしまった。
すべての予定が狂ってしまうではないか~。
ディレクターに電話して、<どうなってんの!>と言ったら
彼もあわてて、どこかにあるはずだ!と言う。

そんなこといってもどこにもないので
結局もう帰ろうとしていたコンピューターラボのおじさん職員をとっつかまえて
何とかプリントアウト。

ところが今度はプリンターに一枚も紙がない。
しょうがないので、学校のはじにあるコピー機までダッシュして
紙をもってきて、何とか入れて。またプリントアウト。
全員にはいきわたらないけど、二人に一人はいきわたったから何とかなった。
やっと授業再開。

しかし、紙もないって何?
何でコピー機は使えないの?
プリンターも古い。
黒板も傷だらけ。
フランスの大学ってほんとしょぼい。
仕方ないか、学費だただからなー。
それにしても一応は天下のソルボンヌだよ。
フランス最古の学校だよ。
とはいっても私のキャンパスは人気のパンテオンじゃなく、
郊外キャンパスだけど。


だからかな・・・?しょぼいのは。
来年はパンテオンにしたいものだ。



それにしても、三時間しゃべりっぱなしって。


あー、楽しかったけど、ほんと疲れたー。

2009年1月21日水曜日

南フランス プロバンスへ!



太陽を求めて南仏に行きたい気分だ。

二年前に行った、アビニヨン&リュベロン地方は本当に美しかった。

TGVに乗り、アビニヨンからレンタカーを借りて、走り出した。

30分もすると山の上に張り付く小さな村々が見えてくる。

そこは時が止まったように穏やかで、平和。

商店が一軒、カフェが一軒しかないような村。石の古い家がこじんまり並んでいる。

お花やワインの木に囲まれて、フレッシュな空気がきもちいい。

こんな綺麗なところがあるんだなー、と感動したものだ。


リュベロンには南仏プロバンスで有名になったピーターメイルの村、「メネルブ」もある。

さすがに本から時間がたっているし、

本には多少の誇張があるにちがいないと思ったが、

まるで裏切られなかった。

そして人々は本当に親切。

おろおろしているとすぐに声をかけてくる。
日曜日のマーケットも素晴らしかった。フレッシュな野菜やオリーブオイル、手作りの蝋燭や鍋、アンティーク家具が並んでいて賑やか。

太陽と親切な人々。

TGVで二時間半でたどりくつ。

やっぱりまた行こう!

2009年1月18日日曜日

Skate in hotel de ville

ソルドに行こうとマレ地区に向かっていて、市庁舎(hotel de ville)の前を通ると、パリの冬恒例の仮設スケートリンクができていた。凍えるように寒いこの時期、エクササイズとはほどとおい生活の中で、なんかここだけ、アクティブな空気に包まれている。
青い空の下、笑いながらスイスイと楽しそうに滑る人々を見ていたら、どうも羨ましくなってきた。
「やってみたいなあー」というと夫も「じゃあやってみようかー」と軽くうなずく。
しかし二人とも二十年ぶり。
果たしてできるんだろうか。
5ユーロ払うって靴のサイズを告げると、スケート靴を貸してくれた。
交換に自分の靴を渡すと預かっていてくれる。
20年ぶりのスケート靴は、えらく履きにくい。
固くて、ちょっと冷たい。
そしていざ氷の上に乗り出した。
まわりの人を見てる限り、とても簡単そうだ。
まるで散歩するように、ぺちゃくちゃ喋りながらすべっている人も多い。
私だって小学校のときは確かにすべれた。
品川スケートリンクに二回ほどいった。
まあ、さすがに久しぶりだから、大して上手ではないが前には進むでしょ。
自転車と同じで、体が覚えているに違いない。
という楽観的な予想は見事に外れた。
一歩氷の上にでるやいやな、足元がツルツルに滑る(当たり前だ)。
怖くて、怖くて全然前に進まない。
手も手すりから離せない。
どういうことなんだ!?


どうやって滑っているのかを改めて観察するために、まわりをみまわした。
明らかに私はこのスケート場で一番下手な人である。
一方の夫は、持ち前の運動神経の良さなのか、何なのかしらないが
スイスイとスムーズにすべりはじめた。
そして
「怖がらないで足を出せば大丈夫だよ~。おいで~」
といいながら群れの中に入っていく。
いっぽう全然相変わらずへっぴりごして、手すりにしがみついてびくついてる私。
それでも、ただジッとしているわけにいかん、
と何とかジリジリと前に進む。ちょっと進んでは休む。
たぶん最初の一周するのに8分くらいかかったかも。
他の人はたぶん1~2分といったところであろう。
夫はたまーにやってきて、「どう~、下手だなー、ハハハ!」と笑いながらまた消え去っていく。
悔しいのでとにかく、ずりずりと進んでいるうちに、
手すりから手を離せる時間がながくなっていった。
人がいないところなら、何となくは前に進める。匍匐前進。
体はフシギとほかほかと温かい。
大した筋力も使ってないのにフシギだ。
へっぴり腰は相変わらずだが、四周ほどの間に
何とかつかまらなくても進めるようになった。
それでも、優雅にすいすい、というのとはほど遠いのだが。
例えるならば、まわりの人はみな自転車選手で、私だけが松葉杖の骨折患者。
ずりずり、不器用に進む。滑っているようには到底見えない。
あー、恥ずかしいことこの上ない。
「いやだったらさー、もうやめてもいいよ~」
と夫は言うが、
「ここでやめたら一生スケートはしないであろう。せめて子どもができたらスケートくらい指導してやりたい」
と言うと、「まあじゃあ頑張って~」といってまた
一人風ように楽しそうに去っていった。
くそー、悔しい!

2009年1月12日月曜日

サンシュルピス教会のドラクロワ

どうして正月というのは見るテレビが全くないのだろう。元旦、適当にチャンネルをまわしていると「美の巨人たち」という番組がやっていた。小林薫がフランスを旅して歴代のアーティスト達が作った礼拝堂を巡るというものなのだが、これが思いの他、面白かった。ごちゃごちゃした番組ばっかりの中で、静謐な雰囲気が異彩を放っていてとってもいい。その回は、マティスが白いタイルに輪郭だけのマリアを描いた愛らしい南仏の礼拝堂と、コルビジェが作った設計した光あふれるロンシャン礼拝堂、そしてドラクロワの大壁画があるパリ最古の教会・サンシュルピスが特集されていた。



サンシュルピス教会にそんな有名な絵があったのかとちょっとびっくりした。そこは私の家から歩いて5分ほどの場所にあるのが、いつも修復中という印象があって足を踏み入れたことはなかった。高い塔が二本そびえる巨大な教会で、結構な迫力なのだがノートルダムなどに比べるとどうもマイナーなようで、観光客もめっきり少ない。

そんなサンシュルピスを一躍有名にしたのは、「ダビンチ・コード」だ。物語の始めのほうに、重要な秘密が隠されている教会として登場し、老シスターの殺戮の現場になったのがここだ。一時はアメリカ人がダビンチコード片手にうろういていたものだ。

さて、今日は日曜日。時間もあるので、さっそくこのドラクロワの大壁画を見に行くことにした。氷点下の凍てつく気温なので、五分以上歩くところには行きたくない、という気持もあった。ドラクロワといえば、その劇的な画面構成と色彩表現で知られている。彼の絵の影響力というのはフランスにおいてはすさまじいらしく、ゴッホもルノワールもピカソも、みんな「ドラクロワの影響を受けた」と言っているらしい。彼の絵で最も有名なのは「民衆を導く自由の女神」で、これはルーブル美術館にある。この絵の前はたいてい黒山の人だかりで落ち着いて見られたものではない。そういえば、最近この絵は日本のピンクリボンキャンペーンにも使われていたので、日本で目にした人も多いかもしれない。




私が教会に着いたのは夕方4時くらいだったのだが、ステンドグラスと蝋燭の光だけが頼りの教会の内部はかなり薄暗かった。人も疎らで、じっくり絵を見られそうな雰囲気が嬉しい。目指す壁画、「ヤコブと天使の戦い」は正面玄関を入ってすぐ右手にある。








ところが、あれれ、と思った。絵が影に沈んで全く見えない。そういえば番組でもドラクロワはここの場所の「光の変化」に苦しめられたと言っていたのを思い出した。時間によってはかなり強い光が当たるのだが、残りの時間はかなり薄暗い場所だそうだ。だから、かなり原色のような強くて単純な色彩を組み合わせることで、どんな光にも対応できるようにした、とか言っていた。それにしても冬の夕方には対応できなかったらしい。そりゃそうだ、外だって薄暗いんだもの。




せっかく来たのにちょっと残念だったが、歩いて五分なのでいくらでも機会はある。すみません、また来ますと呟いた。ドラクロワはこの絵を完成させるのに八年の歳月を要したらしい。だから次はぜひ午前中の明るい時間に来よう、と思いつつ教会を出た。外の広場では、凍った噴水にのっかって、子ども達が楽しんでいた。